シチリア東海岸にあるシラクーサ〔Siracusa〕と、シラクーサから内陸部に30kmほど入ったアナポ川上流にあるパンタリカ〔Pantalica〕岸壁墳墓群が、ユネスコの世界遺産に登録されました。
シチリアには、世界遺産が既に4つあり(アグリジェント神殿の谷-1997年、ピアッツァ・アルメリーナのカザーレ別荘跡−1997年、エオリエ諸島−2000年、ヴァル・ディ・ノート−2002年)、今回のシラクーサとパンタリカ岸壁墳墓群は5つ目にあたります。
シラクーサは、紀元前734年にギリシャのコリントから植民した人々により築かれた都市。ギリシャ時代は、カルタゴやアテネと肩を並べるくらい繁栄したと言われています。アルキメデスの原理を考え出した天才数学者アルキメデスが生まれたのもこの都市。
シラクーサの町は、陸と橋で繋がっているオルティージャ島と陸側の新市街の2つに分けることが出来ます。オルティージャ島には、紀元前6〜5世紀のギリシャ時代の神殿跡と18世紀前後のバロック建築物が数多く残ります。一方、新市街の考古学地区には、ギリシャ時代の劇場や祭壇、ローマ時代の円形闘技場跡が残り、当時の石切り場の跡も残っています。
シラクーサの町の魅力は、このギリシャ・ローマ時代の遺跡とバロック建築物が混在しているところにあると言えるでしょう。紀元前5世紀の神殿が教会に組み入れられ、その教会のファザードが18世紀のバロック様式であるシラクーサの大聖堂は、興味深い一例。
パンタリカには、石灰岩質の岩肌が露出した岩山のほぼ絶壁の岩壁に、紀元前13〜7世紀の5000個以上の岸壁墳墓群が残ります。紀元前13世紀半ば頃、シクリ人やイタリア本土からの民族に追いやられ、海岸沿いからしだいにシチリアの内陸部に移り住んでいった原住民が、現在パンタリカのあるところに、ヒブラ〔Hybla〕の町を築いたのが始まり。岸壁に掘られた5000個以上の墓は、その原住民達のもの。ビザンチン時代に、アラブ人の攻撃からパンタリカに逃げて来て、住み着いた人々の住居跡も残ります。
見渡す限り周囲一帯岩山の中に忽然と現れる、断崖絶壁の山肌一面に彫られた墳墓群は、見る人を圧倒。まさに、シチリアの秘境と呼ぶのにふさわしいところです。
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